第四章

人間は、教育によって人間になる。


モンドラゴンの連合協同組合グループは、全く独自に創設されたものであり、バスクの社会的・経済的現実の中、極めて重要なものとなった。

この運動は、萌芽から生まれで出て、軈て荒廃した状況を変革し、バスクの、財政構造の決定的構成要素までなった。

批判ーーー協同組合には、労働者階級の利益を守る為ものではなく、資本主義が自己の利益を守る為の道具に過ぎない。もし、協同組合が資本主義に対抗する、一闘争方法で在るならば、協同組合は資本主義社会に於いて、存在そのものを認められなかったに違いない。

又、資本主義制度下に生れた、協同組合に於いては、自主管理は不可能、自主管理の訓練を欠いたままの労働者は、政治権力を手にしても、結局の処、管理決定は人任せ管理任と成ってしまう。

アリスは、我々自身の協同組合組織に於ける、官僚主義・役人根性の萌芽の可能性に警戒を呼び掛け、それを防ぐ一つの手段として、ローテーションや更迭を組込むことを提案していた。

アリスは、教育に飛び抜けた重要性を与えていた。そして人間の尊厳・労働を上げていた。その根本哲学からも、モンドラゴンに赴任した最初の取り組んだ仕事が、教育であったという、実践的な哲学行為からも、窺い知る事が出来る。

彼の、教育観を根柢で支えていたのは「人間が教育によって人間に成る」即ち、人間としての存在の根元を成すものが、教育であるという信念であった。

是は、カントの教育観を土台にしたと考えられる。「人間は、教育されなくてはならない、唯一の被造物である」という、人間を他の動物から分かち、人間足らしめるもの、即ち、人間存在の本質を成すものとして、教育を捉えていた。

「人間は、教育が人間から造り出したものに他ならない」

蔵書数、354冊と謂う小さな図書館から、教育活動をスタートさせなければならなかった。アリスの周りには、何の専門知識も持たない、地域の住民しか居なかった。

住民達の自覚を促し、其の力を結集させ、乏しい財布を持ち寄る他に、教育活動は、取り組みようが無かったのである。

アリスの教育活動は最初から、専門家主義、エリート主義には対極の庶民的性格、民衆的性格を宿命付けられていた。

地域住民の力に、依処しただけではなく、彼ら自身が参加し、更には、管理する道を開く事に依って、此の民衆的性格を、民主的なものとしたのである。

「知は力である、知の社会化こそ、力の民主化である」

キングの「知識と結合は力である。知識によって導かれる力は幸福である。幸福は万物の目的である」という言葉と比べて見れば、キングの功利主義に変って「社会化」「民主化」即ち、知識獲得活用を享受する主体が社会の一般的成員、民衆であるという考え方に、色濃く染められている事が分る。

此の事は、「協同」と「幸福」との関り方に就いてのアリスの哲学からも来ていた。協同した力により、最大多数の幸福でないものに合わせて行く事が、アリスにとっての協同だったのである。

是はアリスが、モンドラゴンに於いて、教育活動を身を以て意識した末の結論であったろう。教育プログラムの内容を云々する以前に住民達に、教育機構施設環境を調えて行く事自体が、フレイの云う反銀行型、対話教育の実践であった。

アリスの、もう一つの特色は、技術・実学の重視である。「働くという事を低く見てはいけない、、、、自己向上への道は、全ての階級に向けて、開かれていなくてはならない。しかし、それは正常な社会的道筋を通じて即ち、真面目な絶えざる労働を通じてでなければならない」

「我々が、段階を踏んだ技術教育を推奨するのも、この為である。」

「人間は、働らなくてはならない唯一の動物」(カント)

一方に於いて、アリスは教育を効率的な投資として説いた。他方で、労働を人間の本質と捉え、労働の尊厳、労働の回復に最上の価値を与えた。その拠り所となったのが、彼の解釈したマルクスであり、キリスト教であった。

労働は、「神から人間に与えられた確証であり、労働する事に依り神の協力者と成る」と謂う、アリスの言葉は、マルクスの労働観に神を介在させ、再解釈しようとした彼の試みを象徴的に物語っている。

抑々、マルクスにとって、労働の分裂と階級の分裂は、不可分な関係を成すものとして、認識されていた。

アリスも、階級の分裂を自覚したが、彼の関心は階級の分裂を生み出した、社会経済制度の究明よりも、階級分裂の結果として生じた、不平等の克服に向い、其の最も有効な具体策が、教育として認識されたのである。

ヘゲモニーの最終的基盤を、経済よりも文化にあると見た。社会主義の最大の原動力の一つとして、教育を見た事にもなる。

オウエンの、教育観の根本には、人間の性格は環境によって作られる。
「何故ならば、人間の性格は只、一つの例外もなく、常に環境に依って形成されると云う事、性格は主に、此れまで生きて来た人達に依って、作られるであろうし、又、作られている事」

彼等は、人間の行動を支配し、指導する力である思想と習慣を、人間に与えるという事は、日に~益々明らかに成るだろうから、人間は、それ故に自分で自分の性格を形成した事は決して無いし、形成し得る事は永久に在り得ない、そうして性格を作りだす。

「手段は、その殆んどが、世事に影響力を持っている人達の支配、統制力にある」事を見抜いていた。従って課題は、次ぎの世代の性格を決定付ける様な、教育手段を世事に影響力を持っている人達、即ち、支配階級の手から自分達の手に取り戻す事を提起している。

オウエンの此の問題提起は、単に当時の労働者階級の子供達が、置かれていた劣悪な労働条件、社会的環境に対する怒りだけではなく、彼の目指した理想の、共同社会建設の、一構成要件として、出されたという事である。

本能的なまでの愛他性、此れが、理想の共同社会で求められる人間の資質として「新施設に於いて採用される教育訓練」でオウエンが、育まんとしたものだった。

モンドラゴン協同組合は、スペインのバスク地方、モンドラゴンの町を中心に、バスク全域で活動する、協同組合の複合体である。アリス神父にその薫陶を受けて、モンドラゴン協同組合運動の実践に飛び込んで行った、若い弟子達を育て励まし、運動全体の精神的指導者として、1967年に亡くなるまで、協同組合の発展を支えた。

モンドラゴンの実践は、其れまで失敗不可避と見られていた、生産協同組合を発展させた、生きた実例として、又、生産協同組合を軸に、様々な種類の生産協同組合が有機的に結合し、コミュニティを主導する実例として、強烈な印象を我々に与えた。

「労働者生産協同組合の役割は、理念的には理解し得るものの、我が国では所謂、日本的経営と官民協調型の、経済運営の存在によって、その現実的必要性は、そう深くないように思われる」

モンドラゴンの経験を、日本の我々が血肉化する為には、自他の特殊性を明確に識別する事も、又、不可欠である。モンドラゴンの華々しい成果だけを見て、其れを機械的に輸入しても、成果は覚束ないであろう。

,モンドラゴン協同組合の歴史と全体像
スペイン内戦の傷跡も生々しく残っている、モンドラゴンの町に、1941年26歳のホセマリア・アリス・メンディアリエタ神父は、赴任した。

フランコ独裁に依る、民主主義抑圧に喘ぐこの小さな町で、先づ、カトリックの既成組織を活用した、青年達の社会教育に取り組む、アリスはたった354冊しかない、図書室の本を増やす事から始めた。

図書室を中心に、学習サークルを組織し、社会アカデミアを設立して行った。軈て赴任から三年目、アリスは町の人々の協力で、学生数20人小さな技術専門学校を、開校する事に成功する。町の人々は乏しい資産を持ち寄って、学校を財政的に支え、青年達の未来に賭けようとする、神父の努力に応えた。

学校は、徐々に大きくなっていった。卒業生が出る様になると、其の中で優秀な学生が更に、上級学校に進学できるよう、アリスは取り計らった。そうした卒業生の中から、既存の企業秩序に飽き足らず、自分達の手で、労働を何よりも優越させる職場を創り出したいと、熱意を燃やす五人の若者が生れる。

五人は、アリスの指導を受けて準備を重ね、モンドラゴンに小さなストーブ工場を設定、1956年、有限会社ウルゴールとして、24人の従業員で操業を始めた。ウルゴールは順調に業績を伸ばし、三年後には、協同組合として組織替えされる。

ウルゴールの発展と平行して、モンドラゴンの周辺では、幾つかの、工業協同組合の一層の拡大発展と互いの連携を、強化すると共に、協同組合独自の財源を確保して、専門的な経営指導を授ける為の機関に「労働人民金庫」(CLP)を増員する。

こうして、CLPを軸として、モンドラゴン協同組合グループが正式に発達し、以後、CLPの指導を受けて設立される。協同組合の数が急上昇する、1960年に八組合だったモンドラゴングループは、二年後には二倍、三年後になると三倍の二十四組合増立、これに伴って労働者の数も増大した。

最も重要なものは、社会保障の為の、特典は与えられなかった事から、設立されたもので、当初は、CLPの一部門として事業を始め、後に独立の協同組合に発展した。ラグン・アロは「医療保険、労災補償、年金の他、失業手当」など扱った。

一方、モンドラゴンの運動原点とも云える教育事業では、1948年と教育文化連盟が組織され、技術専門学校のみならず、保育所・幼稚園・小学校・中学校から大学レベル(技術専門学校の上級過程)にまで至る分野で、指導力を発揮する事になった。

1956年、ウルゴールが生れてから、32年後・1988年までにモンドラゴン協同組合は、工業協同組合86(鋳造・鍛造7、資本財17、工作機械10、中間財30、消費財16、建設6)農業8、住宅15、生産協同組合1(直営店・100店舗、提携店150、消費者組合員13万2000人)工科大学(ポリテク二イ)を含む、協音協同組合45、労働人民金庫(186本支店)他に、ライン・アロ研究開発センター「イケルラン」、研修センター「イカスヒデ」等、9機関から成る、一大複合体に発展した。

モンドラゴン協同組合グループ全体で、働いていた労働者(労働者組合)の数は、1万9150人、総販売高2049億9800ペセタ(内、輸出高409億7300ペセタ)に上る。

組合の最高決定機関は、組合員が全員参加する組合員総会である。協同組合で働く労働者は、原則として全て組合員に成る。総会には事業計画の決定、内規の制定、決算の承認等の他、理事会監察委員会メンバーが選出される。

理事会は、定期的に会合を開いて生産計画を決定し、これを企業長に実施させる。企業長は理事会の決めた生産計画に従って、業務全般に執行する責任を負う。企業長に理事会が任命され、総会が認めるような重大な過失を犯さない限り、最低四年の任期中は解任されない。

企業長は理事会に所属しないが、理事会の会議にはオブザーバーとして参加する。以上のように、参加・決定・管理・経営執行の基本的機能が総会・理事会・企業長によって分権化されている。このうち経営協議会は、組合の企業長・幹部職員・外部の専門家から成り、経営全般をめぐる助言をし、又、必要に応じて諮問に答え、これを理事会と企業長に報告する。

これに対して、組合協議会のメンバーは、職場ごとに一般の労働者組合から選出され、労働安全・社会保障・借金など、労働条件にかかわる労働者の様々な要求を、企業長と理事会に伝える。

日本の、生協の在り方と比べて見た場合、労働者が専従職員ではなく、組合員(労働者組合員)であるという根本的な違いに加えて、管理(理事会)と執行(企業長)分離している事。労働者組合員の労働条件に関わる要求を、労働者組合ではなく、組合協議会が代表し、改善し努めるという点は、大きく異なっている。

協同組合精神は、理想としては、普遍的人間性への再興を希望する。彼の最終的な目標は、全人類的な解放にあったのであって、バスク人としてのアイデンティティーは、その目標に向けて行動して行く場合の、拠り所場であったとも云える。

その事を何よりも示すのが、人類史に於ける「力による協同」から「必要性なる協同」を経て、未来へ続く「自由な協同」という、協同の三段階という考え方である。この場合、自由な協同とは、階級無き社会に他ならない。

「ビジョンを持った現実主義者」と呼んだ如く、彼は高い理想を掲げながら、徹底したリアリストであった。ドン・キホーテの理想の槍を掲げて、突進しつつ、サンチョパンサの算盤も忘れなかったのが、アリスだったのである。

協同組合人は「モンドラゴン」の経験」を、部分的・観念的にでなく、歴史的・思想的に学ぶ事に依って、初めて、モンドラゴン協同組合発展の、基本的要素を抽出出来るのであり、従って又、協同組合運動のビジョンを現代社会に、提示する事が出来るのである。

アリスが、何よりも先ず「教育」に運動の基礎を置いたのは、賢明な選択であった。彼の此の選択は、スペイン協同組合運動の「伝統」の一つの表現であっただけでなく、彼自身の明確な思想、即ち「労働者は、教育と自己自身の労働を通じてのみ、自己を解放する」との思想の、確たる表現であった。

「新しい体制は、今すぐ建設する事を始めなければならない。今できる事を今するのだ。新しい体制は、もし人間的であろうとするならば、多元的で自由な広範な領域を持っていなければならない。然し、どのような形態が採用されようともそれは、教育労働人間性の尊厳に対する認識の基礎の上に、据えなければならない」

「教育とは、労働者が自分自身の考えで活動出来る様に、総合的な受容力を作り上げる事である。その為に労働者は固く団結し、自分達に適した活動の分野や形態で決定しなければならない。労働者は他人によって、解放される事は出来ない。自らの力のみで自らを解放できるし、しなければならない。」

「労働は、神に依る伐ではなく、神から人間に与えられた確証です。労働する事に依り、神の協力者となるのである。」

マルクス主義は、労働の中に人間の本質を見、労働によって人間的自らを発展させる。「資本は、労働の要素であって、逆ではない。

アリスの「教育」と「労働」は必然的に「人間性の実現」「人間性の尊厳」に行き着く。彼にとって「人間性の尊厳」とは各人が社会的現実に於いて獲得し、自らに果たすべきものであって、従って「人間性の尊厳」の「要請」が各人の「慣例」となるような、社会秩序を創り出す事が肝要となる。それは、「階級なき社会の実現」協同組合・共同社会の確立に向う事が出来るのである。

「原則のない自由は、権力者を好み、弱者や他人と戦うのに、何の資産力も持たない貧乏人や、常に貧困に依って打ちのめされ、支配されている人を抑圧する、この自由主義が疑いなく、現代の社会危機の最も深刻な原因の一つである」

「世界が、二つのグループで分割されている。一方は、最低限必要な物さえ欠いている、巨大なプロレタリア大衆が居る。これ等の大衆を搾取し、全ての富を得ている特権的なグループが居る。」

彼の非難は常に、社会的変革に抵抗しようとする「反動的暴力」に、向けられていたのである。

革命は、少数の前衛を主体とするものではないし、大衆をその「道具」としてはならない。革命指導者は只、大衆の意識化を行う機能以外、何も持たないし、革命の権威にのみ従い、教育と協同を通じて、革命を実行するものである。

だが、革命の成功を究極的に保証するものは、指導者でなく、大衆的一般的意識の、諸制度への反映である。換言すれば、労働者はその独自の文化の指導と「労働の市民化」とによって、初めてブルジョアジーに代って、ヘゲモニーを取る事が出来るのである。

又、アリスは労働者に向って、労働者は自らを「階級」としてではなく「市民」として認識し「階級」としての「責任を引受けるべきである、と。

労働者は、教育と自己自身の労働を通じてのみ、自分を解放できる。

アリスは、協同組合企業で「階級の差異」が除去されるとは、考えなかったし、社会全体の変革の必要性も、十分認識していた。只、彼は協同組合企業に於いて「労働の回復」=「労働の市民化」を為し遂げ、それに依って労働者の独自の、文化を確立事が出来るのであり、労働者は、こうして「市民権」を享受出来ると考えたのである。

「階級」としてではなく「市民」として「投資」する事の責任を強調する事に依って、彼は「企業闘争」を「経済革命」への手段としたのである。

アリスは、自分を「少量の真実で足る」人間と云っていた。彼の思想の際立った特徴は将にその強い凝集力にある。アリスは、自分の考えは相反緊密に繫がって居り、、個々の考えを理解理解する事で、全体を理解しようと考えていたようだ。アリスの思想は、実践に依って開化した。体系的な先入観なしに、常に実践に適用し、断片を書いた。

アリスの著作は、今日十五巻に纏められているが、生前は一冊も出版されなかった。

アリスは、協同組合主義者と云う前に、何よりも人間主義者であった。彼の採った方法は企業の処方というよりは、人間哲学であった。

彼の思想が、企業設立や存続の論理ばかりでなく、時には人生に就いても論じていた。

アリスの思想の強さは、その独自性に在るというのではなく、彼の総合する能力自薦的感覚、ユートピアを諦めない処にある。

彼は、色々な表材から自分自身の材料を引出し、作り上げる事を知っており、そうして極めて強固で統一のある、自分の思想体系を作り上げた。

彼は、人間主義と協同組合哲学と経済研究と労働の調和と統一を目指した。又、協同組合の伝統や「ユートピア社会主義者」達の、人間主義哲学と「共同体的」又は、協同組合的ユートピアの統合実現の為に、没頭していた事は確かである。

彼は、多くの人格主義者と同様にブルジョア文化が、もし死滅もせず、又そこで値しないものであれば、人間にあった新しい体制の基本条件を、探究すればよいと悟った。

アリスは、経済面に於ける人格主義的な行動というものは、資本主義の解体を待って為されるものではなく、資本主義解体の道具としての、人格主義的体制実現をモデルに、狭範囲ではあるが、資本主義解体の中で、然も、資本主義に反対して、資本主義の歴史的崩壊を待つ事無く、展開出来るのだと考えた。

ムーニェはずっと労働者階級の意識水準に就いて、疑って行く「生産に直接携わる仲間を、大衆的に一つの階級に高め、労働者を教育する」時期になっているとは考えなかった。

其れとは反対にアリスは、労働者は成熟しているだろうと考えた。即ち、自らの利益の為に、人類の新しい時代、人間時代の建設の為に、決定的に取り組む為、未熟で無能力となっているのは、指導者階級である、と。

彼の理念に就いて、特徴付けるならば、何よりも弛みない探求という事である。アリスの思想は、社会的大事件に連れて、発展と共に大きな変化を示した。

人民の、歴史が窮極に於いて、労働を基礎として、慎ましく休息出来ると宣言したのが、アリスメンディアリエタ菜のである。

モンドラゴンの具体的な経験は、特殊なものと受け止められているけれども、アリスが厚紙のカバンを持って、モンドラゴンに到着してから、十五年の長きに於いて生み出され、現実のものと成っていた。1656年、彼が四十一歳の時に、少数の先駆者と共に最初の協同組合、歴史的な名前として知られる、ウルゴールを創設した。

アリスは、特に協同組合の目的を以て、モンドラゴンにやって来たのではなかったが、一つの明確な思想を持ってやって来たのだった。即ち、労働者は、教育と自己自身の労働を通じてのみ、自分を解放出来る。という事である。

神学の勉強を終えるとアリスは、ルーベン大学へ社会学研究の為移る事を選んだ。然し、ビットリア使徒団長のラウツリカ師は、彼をモンドラゴンに派遣した。

最初の五・六年アリスは、社会的関心に満ちた人物・活動的な人物として、人々の眼の前に立ち現れた。彼の活動は驚くべきものであった。

あらゆる物が不足しているのを目の前にして、彼は、必要な組織作りに取り組み、スポーツ・教育・住宅建設の組織を作った。1945年アリスは三十才であった。彼の人生に於いて、新しい時代、発展の時代、思索と研究の時代が始まった。

アリスは手堅い人物であり、ゆっくりと目立たず手順を踏む人であった。研究者と云うより思索家であったが、然し又、勤勉な研究者でもあった。

執拗に研究の必要と恒常的な教育を主張し、色々活動していたにも拘らず、彼自身は生涯を通じて研究を辞めなかった。

アリスのモンドラゴンの活動で最初に実行されたのは、青年向けの図書室の組織化であった。当時、百四十冊は教育関係の本で、移動用図書とサロン用図書部門があった。二年後には八百冊になった。1945年には数千冊となった。

同年、カトリック行動青年団向けの特別図書室が、「青年向けの教育書籍を集めて」開設された。1943年~44年には、研究サークルは非常に盛んとなり、各サークルの平均参加者は四十名を下らなかった。

月平均的図書室利用者は、約四十名に落着いた。グループの形成は、通常、結婚している青年や、慎重に選んだ何人かの青年を中心に、約二十名の小グループを作り、半年以上集りをもってから始められた。

1943年7月、アリスは「社会アカデミアを設立し、将来の最重要課題として、特別の関心を払った。毎月毎日曜日に8名の青年が集まった。1年後には参加者は20倍になった。この「社会アカデミア」の目的は「労働者の未来の指導者を育てる」ことであった。

最初の15分は、出席者の内の何人かの労働者に報告してもらい、互いに批評意見を述べ記録する---30分はテキストを参加者に配布し、顧問がテーマの説明を行なう。最後の15分は連絡事項と相談である。

1943~44の年収報告書引用
「労働者の会合が広い基盤に立ち、カトリックの行動団の指導の下に形成され始めた。会合では社会使徒団の代表が指名され、その者は社会アカデミアの参加者に協力して、全ての工場と職場、工場の様々な部門でアカデミアの会員を組織する事を第一目標においた。

そこにモンドラゴンの青年達の経済・社会モラルを守る為に必要な力を見出そうとした。

この団体は、二年一寸前に組織された。社会研究アカデミアの、発展を目指して設立された。社会使徒団の代表とその傘下の人達は、勉強学習に毎週集まる多くの青年を確保した。参加者は毎日曜日の8:30~9:30まで本部集会場に集った。

この会合の常連は20名であった。一緒に他のグループも参加していたが、然し常連ほど長続きしなかった。ビジャ・クレウスの社会教程読本に続いて、完全な社会教程コースが実施された。

毎週の講義に決められた時間割では、広く社会問題、歴史裁判、所有の性格、諸制約、社会正義の要請、労働の尊厳と特権、社会保障、賃金、助成金、利益分配や管理への参加、プロレタリアートの物質的・道徳的向上、同業組合などが語られた。

1956年に、我々が作り上げたカリキュラムでは、2000以上の学習コースがあった。或る者は宗教や人間教育の為のものであり、他のものは社会教育のものであった。アリスが15年の長きに渡って、祭日も休日も無く、少なくとも2,7日に一回の割合で会合に出席していた事を、その事は示している。

「教えながら学ぶ」は既に古典的な言葉となっている。社会教育や、勉強なくしては実現出来ない。基本的には神学校の哲学、神学教育と社会教義は帰する事が出来る。

世界観や価値や理念が、現実に危機に瀕していると云う彼の考え方は、フランスの人格主義者連を思い起させる。世界大戦の終わり頃には、彼はもっと勉強に打ち込むように為っていった。教会の、社会主義へのある種の幻滅、そして一般の司祭としての教養に就いての幻滅が、此の決心とあながち無関係とは言えない。

アリス自身が作成した経歴書は、「ビットリアの神学校で、哲学及び神学コミ―ジャス大学の特別集中・講座での社会倫理学、そしてビットリアとマラガの社会学校の集中講座で、経済学・ビットリアの社会学校の副校長」。

社会倫理学の勉強では、彼にとっては物足らなく思われ、より現実的で身近な社会問題を、詳しく調べようと決心し、不変の原理と云う、顕微鏡だけでは駄目だという事で、経済学を勉強する事になる。

恐らく吾々は、スコラ哲学的考察に、余計な時間を割くよりも、社会経済的な現実をもっと時間をかけて、勉強するという事を念頭におけば良かったでしょう。

現実を確認し、認識する為には、純粋な論理的、概念的抽象的な能力と方法が、吾々には、先づ以って十分ではない。

その一方で、神学教育の中でなじみの深い美しい夢や、手の届かない理想とは対照的に「俗世間」という別の次元の中に降りていく事で、吾々がそれぞれ直面する現実のみ把握出来るのでしょう。

アリスの、蔵書の内よく読まれた本の中に、F・クラインベヒターの「政治経済学」がある。「社会正義の代表者と謂われる人達は、私的所有を絶対的に否定している」と、述べている所でアリスは、削除線を引き「共産主義の代表者」と訂正している。

アリスの、晩年の著作の中に、人間性の歴史の解釈で、ヘーゲルやマルクスを想起させるものがあり、そこでは協同発展として、三つの段階が考えられている。即ち第一段階は、力による協同、第二段階は、必要性(即ち機械による生産物)に依る協同、第三段階は現在始まっており、未来に続く自由な協同である。

労働概念に集中し、本質的に全ての労働は、協同組合的であると理解している。---アリスの第一の関心は、原理的な問題と並んで、協同概念にもあったと言えよう。

即ち、二義的に関連的にのみ、彼は所謂、協同組合企業に関心を持ったという事になる。当時、アリスはあらゆる方向で勉強し、分析し、考察し、出口を模索している状態であった。所謂、考察と探求の時期である。

「労働は、人間を高貴にする」と云った様な考えに就いて、本当に意識的に考えるようになったのは、ずっと後に過ぎない。「意識の獲得とは種子のようなものだ。どんぐりから樫の木が生れるという事を思い起こして見ればいい。」

四十年代の後半より五十年代前半にかけて、勃興期の協同組合が設立されたが、この時期にアリスは研究に没頭していた。彼はビットリアの神学校をキチンと連絡を持ち、毎年、社会学校の講座に通った。

彼の関心は、経済学・社会学から哲学・教育学に渡っていた。その時期は勤労青年の教育活動のそして、社会の現実との相克の時期でもあった。

アリスは、勉強するだけでなく観察し、分析を行った。即ち、一人で勉強するだけでなく、若いグループと一緒に勉強もした。

モンドラゴン協同組合の経験は、ジュピターの頭からミネルバが生れたように生れたのではなく、アリスに指導された労働者グループが、協同して考え研究して生まれたものである。

「地域の社会経済的で直接的方法で、理解しようと努めた。そのイデオロギー的立場には、別に、地域の主要な人物たちと関係を作り、維持しようと努めた。

アリスは、労働者を解放する事を望んだのではない。彼は労働者が、自らを解放する事、を望んだのである。アリスはモンドラゴンのカトリック行動団に対して、ハッキリとした社会的な傾向を、最初から押し付けた。

それと共に、一般的な意志に於いては、彼は彼等から距離を置いた。というのも当時協会上層部は、国会の服従ばかりでなく、司教徒の方針にも従って、カトリック行動団が政治的、組織的に拘束されない、純粋に精神的な運動を、行う事を好んだからである。

彼は、青年の組織化に力を注ぎ、同時に強力な社会主義を、彼らに持たせようとした。それは労働者の解放と同様に、調停の役割をも青年に果せる為であり、世俗との妥協を回避する事なく、あらゆる分野で青年が、決定力を以て対処出来る様にする為であった。

「カトリックの使徒に依り組織され、法王に認知された神の道具たる、カトリック行動団の使命は、社会的精神・感性を以て、人々を組織化する事である」

大衆を得るようにし、同時にプロレタリアートの高揚を、法王の呼びかけに依り、獲得しなければならない。此の処、我々はこうした人達を獲得していないし、それは、相応しい割合で人数も獲得していない。

従って、最近は大きな成果を得ていないし、又、出来もしないでいる。我々の活動はその成果を生み出すには、ゆっくりし過ぎているのに違いない。我々としては、決して自ら不忠実だと云う、汚点を付ける事なしに、自分達の使命に関心を持ち、人々の獲得を進めなければならない。

此の使命が実現される為には、カトリック行動団は自分達の会員に、社会的に広い教養理論と実践を与えるように、努力しなければならないし、状況や必要性に合わせて、活動するようにさせなければならない。

私は、否定的破壊的態度には何時も反対で、物事を先見的に判断する事なく在るがままに、其の効果・正しさと謂う観点から、判断するという立場を採っています。

私は、良心に対する自分の忠誠心や、司祭としての使命を全うするには、あらゆる危険を厭いません。私は、危険の前に決して降伏しません。何故なら、私は私個人にとって得になる事を、些かも求めた事は無いからです。

司祭に成るに当って、私は神に捧げる一生を理想としよう。思索だけで其の生活を送ろうと、自らに言い聞かせました。もう一つ、私は、二人の主人に仕える事は出来ませんし、又、条件が同じならば、より貧しい者や、より下層のものに尽し、現実的展望に於いて、自らが、疑問に陥らないように、確固たる見地で、物事を良くしていきたいと思います。

1945年から15年にかけて、アリスは盛んに活動を展開した。社会教育のコース集りを持ち、其れをモンドラゴンばかりでなく、教区の全域まで広げた。

青年や顧問と謂った指導層まで対象を広げて、更には幾つかの地方議会とまで交渉した。しかし、彼は言葉にだけ留まっていなかった。

事実を示したり、教えるだけでは不十分である。吾々キリスト者は、髙く掲げている事実の旗が、吾々の怠慢や、現実への取り組みに対する、無関心の、言い訳ともなると云われている。

従って、成すべき仕事は、真実と正義に対する、吾々の愛を表明する事であり、裏付ける事である。

アリスは、言葉は結局行為を生み出すのだと思った。彼は行為無き言葉を好まなかった。又彼は時間の取られる多くの講習や集会は、単なるお喋りに過ぎない、と云う印象を持った。と云うのもそれらの集りは、成すべき事を何も欲しなかったし、知ろうともしなかったからである。

彼は、この分野から身を退き、何か真実で積極的なもの、具体的なものをモンドラゴンで実現する為に熱中した。かくして1956年に、最初の協同組合が誕生するのである。

我々には、人々という素晴らしい苗床があります。其のある者は鍛えられており、別のものは成熟の時期に達しています。多くの者は自分の良心の要請に応える事を知り、一度ならずキリスト者としての兄弟的、犠牲精神の意見に達しようと、絶えず望んでおります。

何時も明確にしている事ですが、私は自分の名に於いて、行う事を常としています。社会伝道や「労働者と仲間付き合いする」と謂う分野で、真面目に行動する戦闘部隊を組織しなければなりません。

私が気付いた事は、人々は我々の呼び掛けに対して、その都度応える事に疲れて居り、司教文書に載っている、教義のあれこれには少しの説得力もない事です。

一方、司教にしろ信徒にしろ、キリスト者の使命として、任務と逆行する決意も連帯も余り見られません。私の見る所、既に教義は我々の精神的ブルジョアや、不真面目さの表れを暴露する為の批判に、少しも成っていないと思われます。

先ず第一に、我々は自分達の在り方を考え、行動しなければなりません。私は、新しい「役職」を作る必要は全くないと見ています。

活動の具体的プログラムで、グループに統一を与える事は十分出来ますし、恐らく旗とか規則といったものは、グループを分散させる事に成ってしまうでしょう。

キリスト者の原理で生きる事が、或る外部的な効果の為に、キリスト者でいる事よりも、肝要な事ではないでしょうか。現実の吾々に齎すものが、思想上の単なる現象や連帯よりも、又記章や派手な色の旗よりも、ずっと形を成して広がっている事に、確信があります。

アリスは、教育や学習を長い年月に渡り行なう必要性を理解していたし、学習とはそれ自体を目的とするものではなく、機会あるごとに社会的実践に開かれるものである、と謂う原則を明白に持っていた。

教育を行う事が、司祭や顧問の仕事であるべきだとは、彼は決して考えなかった。彼の判断に依れば、教育とは労働者が自分自身の考えで、活動出来る様に総合的な受容力を、将に作り上げることである。

其の為に、労働者は固く団結し、自分達に適した活動の分野や、形態を決定しなければならない。労働者は、他人に依って解放される事は出来ない。自らの力でのみ自らを解放出来るし、しなければならない。

アリスは、理念を社会に普及するという、教育的努力を勉強サークルや、集会・宗教講和だけに限定した訳ではなかった。彼は、あらゆる手段を自分の目的に利用とした。

嘗て、日刊紙「エグナ」の従軍記者であった彼は、新聞の力を良く知っていた。「余り注意を払われていないが、実のところ、情報化や教育化に効果的な手段というものがある。それは、世論である」

「世論は、非常に力と効果があるので、殆んど誰も抗えない程の強いものがある。従って世論を適切に作り出さなければならない。」

私達は、各地方に於ける、活動・宣伝チラシを既に持っております。情報連絡網を作る事が、私達の前進を図る為に必要であります。その組織は、地味で真面目であり、且つ、少しでも大衆を動かす為の必要な、全てのものを展開する能力が必要です。

古い世界は死んだ、新しい世界を創り上げる事が重要なのである。


労働者を、具体的なキチンとした、目的の周りに集めたいと思います。あれこれ原則だけを掲げるだけでは、何の役にも立たないものです。

一般原則をひけらす事は容易ですが、然しその中身を実践する段に成ると、直ちに慎重に分別臭くさせるのです。(アリスの周辺で社会運動が、実体を持ち始めるに連れて、モンドラゴンでの彼の力に対する粗探しや、彼の立場への脅迫などは、動機を持つ人に欠かなくなった。)

アリスの独自の考察の出発点、即ち文明の全面的危機に対する対処「古い世界は死んだ、新しい世界を創り上げる事が重要なのである。」

「ブルジョア的個人主義は死んだ」とマリタンは云った「五世紀に渡る歴史は揺らいだ。吾々は、中世の終わりに誕生した文化の一部分の転落に、立会っているのである。」

「其れは、文化と産業の時代に依り、破壊されると同時に強固にされ、構造的には資本主義化され、イデオロギー的には自由主義となり、倫理的にはブルジョア化されたものである。」と、ムーニエは述べている。

「新しい分化とは、新しい人間の事である。」と、ムーニエは主張する。マリタンは真ヒューマニズムと謂う、「ヨーロッパは新しい文化を切望している・・・・・各人が社会的自由と政治的自由を享受出来て、労働者階級が自分達で歴史的に、成人に達する事が出来る様な体制である。」

アリスは云う、吾々が推し進める新しい体制を今すぐ、建設する事を始めなければならない。今出来る事を今するのだ。戦いを諦めずやる事のみが、将来に於いて現実となる事が出来るのだ。

もし、人間的であろうとするならば、新しい体制は、多元的で自由な広範な領域を、持っていなければならない。しかし、どのような形態が採用されようとも、それは教育・労働・人間の尊厳に対する認識の基礎の上に、据えなければならない。

「知は力」ーーームーニエは「ある民族の活力は、その気質に合った形で特定の制度、特定の人間性に表われる」と云っている。

アリスは、バスクの現実に基礎を置いた。より具体的には四十年代五十年代の現実に、根拠を置いたのである。

西洋文化の伝統的な考えでは、人間は自然の所存在の階梯に於ける至高の存在として、自然から溢れ出た、超越的なものとして捉えている。

その向こうには、神秘的な無限の空間が、開かれているのである。人間は自然と神性の間に会って、部分的には自然から自由である、と同時に縛り付けられている。

現代の人格主義・超越的人間主義を、即ち人間を超越する人間、それ故自らの意志と理性の限界を、越える人間の流派に位置付けている人格主義にとっては、各々の人間は絶対に向って開示されており、又人間自体が絶対の存在なのである。

人間は、歴史の流れの中で起こり得る事の一時的な契機でもなく、人間が吸収されてしまう全体(自然ではなく社会)の部分でもない。

「・・・人格は、如何なる物質的、社会的現実に対しても、又別の如何なる人格に関しても、絶対的な存在である。人間は、決して全体即ち、家族・階級・国家・民族・人類の部分として考えてはならない」

如何なる他の人格も、又如何なる良き理性を持った集団・組織であっても人間を手段として、利用する事は正当化出来ない。」

キリスト教の教義では、人間は神の内から生れて来たのであり、神自身が人間の自由を尊重するのである。とムーニエが語るケ所を、アリスは下線を引いている。

ムーニエもマリタンも、マルクス主義を厳しく批判して、「マルクス主義はこの超越的人間の在り方や、人間の絶対的価値を理解していないし、更には否定している」と解釈している。

人間の尊厳は、本来各人が所有しているものであり、又他人の批判として其れに相応しい人間の尊厳を、要請する一つの秩序を創り出す事が出来ないようならば、其処には何等の価値の無いものである。

人間の尊厳とは、目的を獲得する為の基礎に他ならない。人間とは動物と違って、自分の環境を変え、又環境を通じて自分自身も変える能力を持った、開かれた存在である。

「人間が、熊や雲雀のように単に自然の中での動物と云うばかりではない。人間は又文化的動物でもある。そして人類は社会や文明の進歩なくしては維持できない。即ち、人間は歴史的動物である」

「文化型又は倫理ーーー歴史の形態の多様性が人間を五分するのであり、従って教育の重要性が其処にあるのである。」マリタン

「もし、人間性が吾々の時代に於いて直面している、奴隷化や非人間化の恐るべき脅威に打ち勝とうとするならば、前の時代が受けたと同じ、内部分裂で終るのではないかと謂う怖れを感じる」

「新しいヒューマニズムへの渇望や、人間の全体性を改めて発見しようとするに違いない。この完全なヒューマニズムを実現する為に、総合的な教育を推進しなければならない。

「即ち、吾々は物質的革命に対して、精神革命を対抗させているのではない。吾々は只、精神的なものに基かない、物質革命は存在しないと確信しているのである。」

即ち、人間的エネルギーを結構な集団意識の中に改称する事でなく、希望をもって責任ある自由な活動をする為に=物質的条件=の発展と共に、外面的活動を含めて、今すぐ、人間の教育をする事である。

この「今すぐ」は諸事項と共に、マルクス主義者に最良の者達からもげん、吾々を分ける戦術的な原則である。(ムーニエ)

子供は、人である事を到達する為に生れて来たのであり、単に、年齢を経る事に依るのではなく、教育が子供を人足らしめるのである。

子供が、自らの運命や性質無限の可能性を見極める為に、教育と修業はその鍵となるのである。子供が人生に対しても文化も無く用意もない状態いる光景は、文明かされた社会に於いては、消してしまわなければならない。

「即ち、人間は生まれ乍ら人間なのではない、自らを人間にするのだ。只、教育を通じてのみ人間は人間になるのだ」

「恐らく教育は次第に向上し、各世代は人間性の完成に向って依り接近して行くだろう、と云うのも教育は、人間性の完成の為の大きな秘密が宿っているからである。」

国家は、其処に所属する者を「只、自分達の目的の為の道具に過ぎない」と見做しているので、国民は国家の教育的権威に臆することなく、自分達の成熟と自由を求めるべきである。

抑圧された者の教育学者は、「彼らの為にではなく彼らと共に苦労しなければならない」のである。彼らと共に生き共感し、感じ、信念と希望を分かち合う事が、大切なのである。

対話を通じて、新しい目標が達成できる。教わる者の為に教育者、教育者の為の教わる者であってはならない。このように教育者は単に教えるばかりでなく、教わる者との対話を通じて、教えながら教わるのであって、教わる者も又、教わると同時に教えるのである。

かくして両者は、この過程の主役を交互にこなし、相互に成長し、自主的に討論するのであって、支配するのではない。

労働は神による罰でなく、神から人間に与えられた確証であり、労働する事に依り、神の協力者となるのである。

マルクスにとって、労働は意義と自由の創造者、即ち人間の創造者である。自然を変革し、人間は自己自身を変革する。即ち人間は自然を征服し、自らを征服するのである。人間は不自然な自然であり、自然の中に引き裂かれた一部であり、又、自然を人間化する。

労働によって、人間が徐々に歴史を通じて、自然に対する人間の支配を確立し、自分自身を確立したのである。人間活動はゆっくりと自然を排除し、自然に対する人間の優位性を
確立して来た。

労働によって、人間化された自然を創り出し、同時に人間自身を創造し、其の人間の支配を積極的に確立する事により、自らより精神的になって行く。

哲学者は、世界を様々な形で解釈したに過ぎなかった。然し、大切な事は世界を変革する事である。世界は我々にとって、単に解釈される為に与えられているのではなく、良かれ悪しかれ、一つの運命体として一緒になっている事に気が付く。

人格主義とは、将に人間の第一義性、人間の自由と尊厳を主張し、国家の役割を小さく見る傾向を持っている。

結局、賃金労働は奴隷労働と同じく、又農奴労働と同じく一時的な形態に過ぎず、軈て、自発的で熱心な喜びに満ちた仕事に従う協同組合の前に、消滅すべき運命にある事を示している。

協同組合運動は、諸階級の敵対の上に築かれ、現行社会を変革する力のあるものとして、我々は認識する。其の最大の長所は、資本に対する労働の従属と謂う現在の体制、即ち専制と貧民化が自由で平等な生産者の協同による、共和主義的な体制に依って、追い払われる事を示したのである。

勤労者と大衆を解放する為には、協同組合を、国民的規模にまで発展させなければならないし、従って、国民的資金でそれを育成しなければならない。

協同組合は、資本主義体制の最良の、そしてあらゆる代償を払ってでも、絶対的に維持する必要のある、唯一の組織である。

アリスは、自分の社会主義の概念は、マルクス主義者の持つ概念とは異なると考えていた。「確かにマルクス主義は、経済発展の歴史や人間の歴史について解釈している一つの理論である」

「然し、結局は不十分な恐れのある理論であって、多くおほんしつの場合に於いては時代や検証に任すべきもので、不変的教義として、常に良い地位を占めている訳ではないと謂う事を、確証する所から始めなければならない。」

協同組合運動の本質的性格は、制度上の上部構造が民主的な法律と一致する限り、他の形態との共存を受け入れる者であり、それ故、此の政治的綱領を通じて、此の運動は財政手段及び他の資産の法律的平等を獲得出来るだろう。

いとりわけ、体制の変革行動に統合する為に、人々を集めるだろう。其の中の主役は、連帯を通して自分の労働を実現する個人である。即ち、一言で云えば其のスローガンは「政事に於ける多元性がなければ、経済に於ける民主主義はない」のである。

協同組合主義は、良心の新しい状態、一言で云えば、文化を権力の人間化や経済の民主化や連帯を通じて、特権階級の形成を阻む事に依って、つくり出そうとするものである。

其処では、職能的評価から所有権が決められる。即ち共同的で分散化された、生活と謂う観点に於ける、能率的で責任化を進めた手段として、職能的評価は意義があるのである

。彼らに依れば、協同組合は資本主義に敵対する為の有効性は殆んどないし、幅広い政治的保護を受けて、他の形態を取る事も出来ないと云うのも、協同組合は支配権力に操られているからである。

今日、協同組合の発展が黙認されているのは、協同組合が力を欠いている事から来る。純粋な譲歩としてそうなるのである、と謂う。

協同組合主義の改革能力は、協同組合主義の変革能力は~


何よりも其処で活動する人々、即ちこれらの人々の精神、労働貴族へと退廃していない精神に依処している。其の目的、使命に見られるように、奇をてらった方式に依るのではなく、組合員の精神と労働者階級の諸組織と団結した変革者としての、協同組合の実践形態に依っているのである。

言葉に依ってよりも、物事に依って我々は選択しよう。

時代が不確定になると、動揺する人間は益々悪い方向に行くが、頑固にその目的を保持しようとする者は世界を変える。

良心と自由と正義に基づく妥協を、協同組合主義者は、拡大を以て一致させなければならない。

即ち愛及び自由と正義に依る妥協は、他人対して実現可能な事を成すように強制しないし、それ以上に協同組合主義者を今日の世界が、必要としている社会的・経済的転換や換の主人公としての権利を得る為に、権威付けるものではない。

全ての人が、新しい社会を建設する為のものである。

我々が理解し、行なっている協同組合は、特別な役割を持っており、他の諸勢力とは違い補完的なものであるが、人民の運動の他の推進者達が行っているものと同じ位、必要不可欠なものである。

1947年2月「ETAレーニン派」は、モンドラゴンで新たなパンフを発行し、アリスと協同組合主義に対して攻撃した。

協同組合主義が、労働者の運命をより良くする為に、資本主義に対する代案としての、新しい発展モデルを導入するという、二つの目的を以って生まれた事は認めている。

「然し、最初からこれらの目的は非現実的であり、協同組合主義はその出発点が、その存在すべてに於いて誤りを再生産している」と述べている。

又、資本主義を打ち壊す為に、現実の領域の中(階級闘争)に腰を据えねばならないのであって、願望の領域にではない。

協同組合の誤りは、基本的な点から来ている。即ち、労働者階級が資本主義及びブルジョアの王家の破壊の代理人の役割を果す事を、否定する事である。

この基準から、協同組合主義者の計画は、彼等が無邪気に闘おうとしている、其の当の法律(資本主義の法律)の罠に掛かってしまっているのである。

資本主義の監察であり、原動力としての国家の役割を忘れ、国家を打倒し得る唯一の執行人としての、労働者階級を忘れているのである。

要するにモンドラゴンの協同組合主義は、「スペイン植民地主義の代理人」だと見做された。アリスは指導部に対して厳しい警告を行ったのである。

「土台の役割を果している、全ての制度や組織は、もし其処に典型的な官僚主義や役人精神が蔓延り、どのような実践も硬直化させてしまう」

「病気に掛かり、諸力を能率よく実践しようとするダイナミックな活動家達を、無力化させてしまうならば、どんなものであっても、その制度と組織は破滅する危険がある。」

特に「活気ある人物、困難を厭わない人物」が必要とされるのである。又「職業上の困難や苦労を逃げる為に、精神病学的な鎧を必要とするような、精神的な不完全さに機能上陥ってはならない」

官僚主義の危険性は、確かに事業を旨くやって行こうとして、絶対的安全性に固執しようとする、その地位や安全性に固執し、不当な地位利益を作り出す。

問題は、この状況に於いて自分達の評価自分達にするという、当然の要求の為に共同体や労働グループの認識を、共同体の全てのメンバーのものにする必要があるという事である。

「体系的人事のローテションを組み入れる事、又は組織の中枢的な職務や部門が旨く機能しない場合は、それを更迭する何らかの形態を整える。」

紛争は、活力の現れであるが、必ずしも成熟の印とは限らない。例え紛争が進歩のバネであり、成熟を促進する手段であったとしても「命令職にある者は、その支配的な地位を楽な職務に変る事は出来ないが、能力と奉仕の精神に依って、それを支えているのである。

然し、他の者も思い付きや勝手気ままに活動する為に、現行の諸体制を変える事は出来ない。

資本主義体制に於いて、協同組合企業は、制度の前で中立に留まる事は出来ないし、私的分野にせよ、自らの階級矛盾を顕現する、名前を少し変える事即ち、労働者の代りに、組合員で企業家を企業長に利益と交換に換えても、生産の社会的関係の本質を変える為には不十分である。

企業の発展は、資本主義経済体制のダイナミズムに、左右されるのである。

アリスは、共同の願望や計画の能力や生命力は、単に訴え掛けたり、美しい表現で合唱する以上に、行動として示さねばならない。

即ち『自らを知らんとするものは行動せよ、行動すればその時こそ我は真に他人と、節度ある関係になるのである。』

是れは、お互いが容易に対立してしまう生活や経験に対して、調和させる表現である。助言を与える事は、単にものを与える事と同じではないのだから。

彼に依れば、協同組合は人間労働が抱える諸問題を全ては解決しない。確かにより重要な問題の幾つかは解決する。

アリスは、モンドラゴン協同組合が天国であるとか、そういう風であるとか見せ掛ける事に同意しなかった。その運動に参加して以来、彼は誰に対しても完全な人間である事を、要求しなかった。

只、単に貢献と協同を要求しただけである。協同組合の規律も又強制ではない、何故なら
その公式・形成・発展は等しく、全ての者の責任である。

「ワイシャツとカラー」や脳と心臓のように、他人を尊重しつ々責任を引受ける事を、全ての人々は其処に見出すからである。協同組合の憲法は、完全な参加と民主主義である。

誰でも、自由な社会的決定や民主的な適用に於いて、当惑感を持たせられてはならない。又判決や破門に晒されるような事があってはならない。

共生と共存を実現する為に、規準化は不可欠である。それなしには規則で定められた以上に、共生共存が先に進まない。民主主義の制度のような、差しあたって最良の制度によって、人間関係の制度の擁護や支援を共同で適用する事だ。

これらの条件整備に、本当の意味を与える事が出来るならば、悪いものでも賤しむべきものでもない。現在の協同組合は始めから、今日あるような人間集団ではなかったし、現在進行中のプログラムを持った訳でもなかった。

協同組合を作る中で、労働と団結は誕生した。その内容は、時代の流れに適応した要求を、調整しようとするものであった。

誰も、自ら少し分け持たなければならない事柄から生ずる困難さを見限ってはならない。もしそうなるとすれば、それは労働能力上の技術、専門性の不足に問題があるのである。お

問題は、会員やそれらを十分持っている各人にあるのではなく、それらの力を出来る限り集中させる仕方に、問題があるのである。

一方で、今日再び感じざるを得ない「困難」が存在する。即ち財政困難であり、不可決な技術競争力の準備不足である。

企業内の民主主義的体制の基での、高い経済効率を達成する事が不可能であると云う、先入観であり、多くの労働者の競争力の不足と、協同組合精神の不足である。

「資本主義的体制」は、公然とそれらの困難を増大させ、明かにする事に全力を尽くしている。労働者の組織から取り残され、資本主義に包囲されているような、協同組合構造は必然的に退廃に近づくのではないだろうか。

資本主義体制の中での生産協同組合の機能は、必然的にその体制の中で目的や純潔さを失う。資本主義体制は本質的に市場経済であり、生産手段の私的専有を強いるものである。

各企業は事実上、国家の経済政策に全面的に刺激され乍ら、自己利益の為の決断に集中する。利益追求は例え目的でないにしても、資本主義的企業の原動力であったし、在り続ける。

利益は単に企業家の意志ばかりでなく、競争原理の要請に依って企業の中に定着しておりどんな些細な競争の場合でも実際に生じている。

企業を維持しようとするならば、企業家は資本主義の中で、利益を引出すと謂う最大利益の中の為の努力をしなくてはならず、生き残りの不可欠の要素としての蓄積で追求する。

其処から重要な結論が引き出される、即ち協同組合自体が企業になる事は、資本主義体制への参加を強いられるという事である。

第一に協同組合は、市場法則に従属して、自己利益を追求する事に執着しており、それで生き残りと、自分が従属している競争の犠牲に成らないようにしているのである。

(43 43' 23)

  • 最終更新:2013-11-25 16:59:06

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