第三章

モンドラゴンの創設者は、ドンホセ・マリア・アリスメンディアリエタ(1915~76)というカトリック神父である。スペイン内戦期に反フランコ陣営で戦い、逮捕された彼は釈放後神学校で学び、1941年26歳で、モンドラゴンの教会の副司祭に任命された。

人口約8000人の当時のモンドラゴンは、貧しい町であり、とりわけ内戦終結直後と謂う事も手伝って、町全体が荒廃した状況にあった。

フランコの独裁下、自由な政治活動や労働組合運動が、認められない状況の中で、町造りの執念に燃えた、若き神父が取り組んだのは、職業技術教育であった。

地方自治体の援助も、金融機関の援助も得られなかった彼は、直接住民に訴えかけ、和束菜資金を集め、1943年に、小さな職業訓練学校を開設した。新入生は20人であった。

この学校で神父は、労働の尊厳性を強調し、労働者が主人公になる企業経営と、それを基盤とする社会改革の重要性を説いた。この教育は素晴らしい宝を結ぶ事になった。

1956年、五人の卒業生が小さな石油ストーブ製造工場「ウルゴール」を設立し、59年に協同組合法に基づく、協同組合として登録した。

「ウルゴール」の運営規約には「生産の全行程に於いて、人間の労働がその尊厳に基づき、特権を享受出来る様にし、その他、全ての要素を構造的に従属させる」と謂う神父の思想が明記された。

ウルゴールはその後、着実に成長し、現在では労働者数2300人、家庭用電化製品メーカーとして、スペインのトップ企業に入っている。

ウルゴールの基本的組織

1)総会(一人一票制による、全労働者集会で、最高決議機関)

2)理事会(総会が選出する、3~12人の理事で構成され、日常の政策決定最高機関理事の任期は4年で、半分が2年ずつ交代)

3)企業長(ディレクター)(理事会により最低4年間任命され、日常の業務執行に責任を持つ)

4)経営委員会(企業長を含む委員会で、基本的な経営計画を作成する)

5)組合委員会(職場単位で選出された労働者代表が、構成する委員会で、理事会から一定の権限を委譲され、労働者の福利・厚生・労働条件など問題を検討する)

6)監査総会(決算書などの重要文書の監査である)

上記の組織は、その他のモンドラゴン協同組合にも、ほぼ共通するものである。


アリス神父は、資金問題と共済問題の解決、及び協同組合全体の指導機関の必要性を強調して、ためらう組合指導者を説得し、今日も直接に住民に訴えかけ預金を募り、労働人民金庫を設立した。

協同組合設立の第一段階は、発起人グループの結成である。人民金庫が一番重視するのは、組合設立の要求が、労働者の間から自発的に生じているかどうか、という点である。

第二段階では、発起人と金庫側とスタッフが、具体的な生産を見積もり、市場調査業務編成などを検討する。

第三段階では、出資金が集められ(発起人が20%を用意し、20%を国の融資に頼り、60%を金庫が用意する)組合が新設される。

金庫の総会では、金庫の労働者組合員50%、諸協同組合員の代表員50%の割合で、投票数を分け、金庫の事業方針を決定する。

モンドラゴン協同組合群の中で、圧倒的多数を占めるのは、工業協同組合(55%)と教育協同組合(26%)である。工業(ものづくり)と共に教育(人づくり)重視されているのが、モンドラゴン協同組合群の特徴である。

モンドラゴン協同組合群が、発祥団体となった職業技術学校は、1976年には工業高等専門学校として、認可され、大学レベルのコースも備えるに至った。

1987年現在の学生数は、約1200人である。同校は協同組合として組織化され、総会には教師・学生に父兄・援助組織という、三種類の組合員が参加する。同校の運営者の約80%は、援助組織(主に工業協同組合)が支出している。

同校の学生が、組合員になるアレコープ、と謂う工業協同組合がある。組合員になった学生は(約600人、17~22歳)に毎日5時間、学校で学び、さらに4時間アレコープで働き、授業料を上回る賃金を受け取る。

地域の貧困な子弟に、教育の機会を提供するだけでなく、教育と労働の結合を目指した、アリエタの思想の結実である。

今では、熟練労働者の多くが、モンドラゴン協同組合群の内部で、自給されている。

労働者生産協同組合の役割は、理論的には理解し得るものの、我が国では、所謂日本的経営と官民協調型の、経済運営の存在によって、その現実的必要性は、そう強くないように思われる。

抑々、モンドラゴン協同組合は、フランコ独裁体制に依って、自由な政治活動・労働運動が、禁じられると謂う、特殊な状況下で、バスク民族主義を背景にしながら、合法的に住民の経済的・社会的・文化的生活向上への願いを、組織する運動として始められた。

資本主義企業の組合は、資本の結合だから、簡単だが、協同組合の結合は、人と人との結合だから、そう簡単には行かない。

モンドラゴンの各協同組合にとって、労働人民金庫(CLP)は単なる、金融機関ではない。モンドラゴン全体を統轄し、指導する司令部でもある。

実際CLPは、各協同組合の経営指導、新規協同組合の設立、協同組合の、調整などはこれまで、絶大な役割を果して来た。

だが、法律的には一信用協同組合に過ぎない。CLPに指導責任を負わす事は、権限の過度集中という問題を必然化する事になった。

こうして、各単協から独立した専門の上級機関を、設置する取り組みが出された。こうして1984年12月に設立されたのが、モンドラゴンの全協同組合で組織する、協同組合会議(コングレソ)と、協同組合評議会(コンセホ)である。

組合員総会ないし総代会(コンセホ)は理事会に当る。比喩的に言うならば、前者は国の立法府(議会)、後者は行政府(内閣)に当る。

協同組合会議の代議員400人は、各組合員の理事長、企業長、及び一般組合員代表から成る。しかし、将来的には役職の有無に拘らず、全員の選挙で選出したいと云う。

又、協同組合評議会のメンバー17人は地域グループの総企業長12人、CLP・LKS・イケルラン・ラベンマリ・エロキスの企業長格一人から成る。

「労働の優越」は労働協同組合を核として発展して来た。モンドラゴン協同組合は根本原則であり、その具体的な実現方法として、「基本原則」は労働が富の配分に於ける「本質的な尺度」である。

即ち、消費者の利用高を、モノサシとして来た、従来の原則に対して、モンドラゴンの新原則は、労働貢献度をモノサシにした訳である。

モンドラゴン協同組合そのものが、教育運動から生まれた。幹部職員の研修を、最大の目的とする、教育研修センター「イカスビデ」が設立された。

その主な教育内容は

1)理事会メンバーなどに対する、組織運営の為の研修。

2)企業長を対象とした、経営技術研修。

3)大学新卒者のための研修。

4)バスク語研修。

とりわけ、将来の幹部養成を目的とした、新規大卒者の研修は、二年間の養成期間中の諸経費一切を、モンドラゴン協同組合は負担し、しかも研修終了後の、協同組合への就職を、義務付け無いと謂う好条件である。

1985年1月から始まった、第一回大卒者研修には、105人の定員に対して、1500人の応募があったという。

<スペイン協同組合法則>

モンドラゴン協同組合は、企業に雇われて働く事が、普通である社会ではなく、労働者が企業を作り、、管理し、自ら働いて生産する社会を、相当な規模で実現し、社会経済の激動に揉まれながら、発展しつつある。

企業的活動を展開し、発展させる為にも、資本と財源の安定が、不可欠である。

バスクでは、現代の社会経済上の、大きな実験が進行しており、世界中からその点で、注目を浴びている運動がある。それは、独りのバスク人カトリック司祭が、バスクの小さな町で、始めた労働者(生産者)協同組合運動である。

司祭の名前は、アリス・メンディアリエタそして、町の名前はモンドラゴン、この協同組合は所謂、生協に呼ばれる消費者協同組合や、民間企業とは違って、労働者が自主的で民主的な、経済の行き詰まりの中で、欧米のみならず、世界の経済制度の、新しい取組の事例として、このモンドラゴン協同組合運動は、インパクトを与えている。

「スペインのモンドラゴン協同組合複合体が、高度な産業発展の新たな段階の、労働者協同組合の姿を示したのである。各国の政府は、病める資本主義経済の為に、この協同組合に注目し始めた。」インドロー報告

モンドラゴンの人々は、自分たちの労働者協同組合運動の、背景の一つとして、バスクの、伝統的共同体を挙げている。伝統的な協同の精神は、農業、漁業、手工業職人労働の三つの分野に、見出す事が出来る。

1956年に、最初の生産協同組合が、設立されたのは、モンドラゴン協同組合グループの始まりである。

モンドラゴンの経験は、それまでのモデルの模倣や、継続で始められたのではなく、全く独自の形態の探求を行いながら、進められたとは言え、モンドラゴン協同組合も又、歴史の中の産物である、という事が出来る。

歴史は、様々な腐食の土の上に、開発したものである事は、間違いない。

モンドラゴンは、面積33平方キロ、標高211メートル、現在人口27000人。

モンドラゴンの、サンタバルバラ丘の上の、黄銅のドラゴンが見下ろすイカストラには、バスク出身の宣教師であった、フランシスコ・ザビエルの名前が、冠されている。

<言葉は少なく良い事を話せ>

「吾々の社会は老人と共に何をするのか」アリスは高齢者の在り方を「活動的な余暇」と謂う言葉で表した。

モンドラゴングループの、各協同組合の支援機関として、ラグシアロは医療、失業、労だい働不能退職、家族手当、年金、融資など、様々な種類の交付金を出している。

アリス神父が、最初に取り組んだものの一つが、結核予防の為の診療所の、設立であった。次いで、地域病院の建設に取り組んだ。

高齢者は、仕事・経済・孤独・社会的無用感・住宅などの問題を抱えており、モンドラゴンでは、自治体と協同組合グループが、協力し合って幾つかの、施策を進めている。

この中で、協同組合グループの銀行である、労働人民金庫と、社会保障協同組合の、ラグンアロが中心となって、計画したのが、協同組合方式の高齢者、農園プロジェクトである。

この構想は、老人クラブにマーケット調査を行った結果、野菜や花作り、兎や鶏を飼いたいという、要望が強い事が分った。余暇の過ごし方で特徴的な事は、散策的な事である。

67%の中高年の約八割が、山登りやハイキング、近隣への散策を好む、其の内34%は週一回以上出掛ける。

アリス神父は、取分け若者たちと、老人たちの余暇を、単なる暇つぶしではなく、人間生活の、重要な一要素と考えた。

しかし、彼はスポーツが人々にとって、麻薬に為ってはならないと、考えていた。労働と余暇は、同列に享受すべきもの。スポーツは、単に身体的な事ではなくて、社会的にも重視されるものだ。

モンドラゴンの多くの人々は、休日ともなると家庭で、周辺の山にハイキングに行ったり、球技をしたり、自転車に乗ったり、屋内外でのスポーツを楽しむ。

サークル運動の中心となったのは、教会の青年組織である。カトリック行動団だった。

現在モンドラゴン協同組合は、その剰余の10%を教育社会振興基金として、各種の文化・スポーツ活動に、積極的な支援をしている。労働人民金庫の音楽会なども、盛んに開かれる。

人口210万程の地方で、文化活動を展開しているバスクは、小さな国と云えるだけの、文化を振興している。地方の自治とか、共同体の発展の基礎には、文化がなければ成らない。

地域を知るには、先ず何よりも、高い所に登って、所謂俯瞰図眺める事だ。アリスも若者達に地域社会の産業や、動きを知る為に、山登りを進めた。

労働人民金庫には、現在160の協同組合(組合員数2200名)が加盟しており、169の支店は、マドリッドとバルセロナを除いて、全て、バスク地方に置かれている、労働人民金庫の労働者組合員数約1200名で預金高は90年8月で3,200億ペセタで増加している。(預金者数50万名)

労働人民金庫の目的は、1960年に設立された時以来、モンドラゴングループが投資を行い、新しく協同組合を設立する事を支援して、雇用を増大させ、地域の社会経済に、貢献する事であった。

労働者持株会社(企業で働く労働者が、株式の、51%以上を所有して、自主管理を行い、法律税制上の優遇を受けているという)は、スペイン独自の会社で、現在スペイン全体で、約7000社、バスクでは約300社存在している。1社あたりの社員数は平均10名で、EC各国からも、その法制が注目されている。

創設者アリスは、1940年代に教育から、協同組合の運動を始めた。彼が神父として、内戦後の荒廃したモンドラゴンの町で、最初に思い立ったのは、青年たちに教育の場を作る事であった。彼は、教育と労働は、統一結合していなければならない、と考えていた。

モンドラゴンに於いて、最も重視されているのは、雇用の増大、仕事の場の確保だ。利益の多くが、仕事を増やす為の新規分野開拓、或は、新規協同組合の設立の投資に、回されている。

グループの、生産協同組合の内、最も重要な中核と成り、又、稼ぎ頭でもあるのが、ファゴールグループだ。現在は、スペイン国内最大の、家電メーカーとしての地位を、築いている。

1988年度の、スペイン企業ランキングは、62位に着けている。ファゴールはモンドラゴンにある12の協同組合が、グループ化しており、約6600名の労働者組合員が居る。冷蔵庫、クッカー、皿洗い機など、約50製品を作っている。ファゴールの家電部門は、スペイン市場の、30%の占有率を、持っている。

これらの、工業グループを技術的に、支援している協同組合は、工業製品開発研究所の、イケランである。その理念は、アリスの「協同組合が存在する為には、技術面を重視しなければならない」として、1974年に誕生した。

モンドラゴンのグループの、消費サービス部門には、エロスキ(バスク語で買物という意味)という消費者協同組合がある。同生協は、流通・スーパーマーケット業界では、スペイン最大であり、1988年度・企業ランキングは76位である。

エロキス生協の最大の特徴は、消費者協同組合であり、且つ、労働者協同組合であるという、混合型をとっている事だ。うん利して

日本の生協では、そこで働く労働者は、あくまで賃金労働者であって、組合員として経営に参加している訳ではない。生協の、民主的経営の理念の中には、労働者は経営参加を保障する、強制的な裏付けがない。いんげんがとうう

一方、モンドラゴンの、エロスキの場合は職員である。労働者も利用者である。消費者も対等な組合員だ。エロスキは、労働者組合員が1900名、消費者一般組合員が、16万名と云う。

参加は、経営を行う事が、真の協同組合的、労働であるとするならば、モンドラゴン型の生協は、消費者と労働者の両者の利害を、統一した形であると云える。

元々、生活者を労働者に分離して、考えること自体が、資本主義的な生産様式からの発想であり、人間が統合的な在り方を、分割してしまう、阻害なのではないだろうか。

ホセ・マリア・アリスメンディアリエタは、1915年4月22日、ビスカヤ県のマルキナの町の近くにある、バリナガ村のカセリオ(農家)に生れる。1976年11月29日、モンドラゴンで死去する。

内戦が終り、彼はビクトリアの神学校に戻った。1941年1月1日神父に叙任された。彼の最初のミサが、故郷のマルキナで行われた。

彼は、スペイン語を喋るのが上手くなく、感銘深い説教を期待して村の教会に集った、多くの信者達を、失望させたと云われる。

彼は彼の友人で、スペイン政府の、労働大臣にもなった、デル・マルコは「アリス・メンディアリエタは、神父の話はとても分かりずらい。彼は自分の思想をバスク語で考え、そしてそれを、スペイン語で、説明するのだ。だからそれを聞く者としては、文法・構文を直して、聞き取らなければならなかった。」と、回想している。

モンドラゴン教区への赴任は、社会問題に詳しい神父を補充して欲しい、と云う要請で教会上層部が、偶然選んだ結果であったが、モンドラゴンの町を大きく変え、さらには世界的な生産者協同組合或は、労働者協同組合の運動の中で、最大の企業グループを、創り出す事になるとは、将に神のみぞ知る事であった。

アリスが、教区に赴任して来た1941年のモンドラゴンは約9000人の町であった。

アリスは、神学校や技術学校で、サークルなどで、哲学や社会学を教えたが、話すのは矢張り下手くそであった。いつも微笑みを絶やさない、教室での彼の話し振りは、危なっかしく、ゆっくりとして、滑らかさがなく、繰り返しが多かったので、時々、生徒達は居眠りを誘った。すると彼は、突然大きな声を出したりした。

アリスは、教会の助任司祭としての、収入以外のものは、受け取らなかった。その為に永い間、母親が、マルキナの実家から、彼に多少の経済援助をしていた。

「アリスは、神父として、本当に、清貧の中に、生きていた。」

アリスは、いつも愛用の自転車で、モンドラゴンの町を回っていた。酒も煙草もやらず、人に物を頼まれても、決して嫌と言わなかったし、夜中に人が死んで、司祭を呼びに来ても、嫌がらずに出掛けたので、地域の司祭としての、尊敬を集めていた。

彼は、モンドラゴン協同組合の創設者だったが、協同組合の役職に就く事は、労働人民金庫を勝手に作った時の、2年余りを除いてなかった。けれども協同組合の会議には、自由に顔を出して意見を述べた。大抵は皆に無視された。しかし、幹部達は彼を精神の師として尊敬していた。

創造し・所有せず、行動し・私物化せず、進歩し・支配せず 。

「バスクは、カトリックと同義である」とも言われている。日本にも、馴染み深いフランシスコザビエルと、イエズス会の創設者である、イグナチス・ロヨラは共にバスクの人である。

今は、世界の社会変革を、進める運動の中で、進歩的カトリックの果たす役割は、大きいものがある。中南米の解放の神学や、フィリピンのカトリックによる、共同体運動などを即座に、思い浮かべる事ができる。

カトリックが、労働者や、貧民の中に入って、共に苦しみながら、解放を目指すという指向は、イエズス会の伝道以来の、積極的な側面であると思われる。19世紀の社会主義は、労働運動に対応した、カトリックの社会主義も、その理念的支柱となった。

恐らく、世界で一番強固なネットワークを持った組織は、カトリックである。

「点潔」「服従」「清貧」の誓いをして、叙階された司祭は、命ぜられる所あらゆる国、伝導に赴く、バスクの司祭達も、中南米・アメリカ・アジアへと布教に出掛けている。

解放の神学も、そのようなカトリックの、ネットワークの流れの中で、誕生したのだ。

抑圧された、貧民の中に入り、共同体を作る中で果たす役割は、例えば、国際共産主義運動に於ける今日、既に実態を失ってしまった。

「国際的連帯」よりも、遥かに歴史的に長く、強固で有効な社会変革としての、ネットワークの実を、示して来ていると云える。

洗礼を受けると、自分は、偉くなったような気になる人が、日本にも沢山いる。社会へ向けて、自分がどのように役立つか、深く考えようとしないのは、真のクリスチャンではない。

バスクに於いて、キリスト教は4世紀に、ローマ帝国支配下の時より始まった。バスクの土俗的な宗教は、太陽信仰であった。

法王は、資本主義の発展に伴って、生ずる「社会的不公正」があることを認めていた。しかし、社会主義的な労働組合運動や、中世ギルドを想定した、協同組合の推進を期待し、一方で又、最低賃金と最大労働時間、女性や児童労働の保護にも言及した。

「弱者や貧民に、特別の関心が払わなければならない。」と、回勅述べている。又、「労働なしの資本はないし、資本なしの労働もない。」とも述べている。

愛による、資本家と労働者の、二つの階級間の、階級闘争の調整を目標にした。さらに「諸国民の富は、労働者達の労働以外に、源泉を持たない事は明白である」と、マルクス顔負けの表現もしている。

此の回勅によって、カトリックの社会主義と、社会運動は活発化し、カトリックの労働組合と政党が、ヨーロッパに広まって行った。スペインも当然その影響を大きく受けた。

アリスが傾倒した人格主義は、フランス、イギリス、ドイツ、イタリヤ、ベルギー等や、東欧、さらには米国等で、1930年代から40年代に駆け、一時の隆盛を見た。

人格主義の根本テーゼは、何よりも人格を有する自己の重視である。之は個人主義を否定するものだった。個人主義は、ブルジョア的エゴイズムの所産と見做された。

人格主義が、明確に登場したのは、1932年にフランスに於いて、エスヌエル・ムーニェが雑誌、「エスプリ」を創刊し、人格主義運動を組織してからである。

彼は時代の危機、即ちファシズムと国家型社会主義を含む、全体主義に対する克服を主張し、共同体の中では個人を重視し、無神論者や、ヒューマニスト達との共同を主張した。

彼に依れば、人格主義の哲学は実践の哲学であり、投企の哲学であった。彼は、マルクス主義を経済決定論者であり、倫理上の相対主義であり、階級闘争を重視し、協同を軽視すると批判したが、決して拒否はしなかった。

アリスも、フランスの思想状況に強く影響を受け、J・マリタンの、哲学を信奉する司祭の一人であった。マリタンは、自らのカトリシズムの立場を「総合的」「進歩的」に位置付けながら、マルクス主義が人格や、人間性の問題に関心が薄い事を、批判している。

又、マルクス主義を全面否定せずに、其の容認出来ない点を、克服して行こうとする、人格主義態度は、戦後の、サルトルのマルクス主義に対する姿勢とも、軌を一つにするのだ。

マリタンは「統合的人間主義」の中で政治、経済に於ける多元主義を主張し、国際化に反対して、共同体に基く社会制度を造る事、又、経済面では、生産協同組合や消費協同組合の果たす役割の重用性を指摘した。

又、マリタンは技術や大工業の役割を否定せず、これらを人間にとっての道具であるとして、又、資本と所有形態を重視し、資本主義を克服する為の、大きな役割を(労働)組合が果たすべきであると考えた。

アリスメンディアリエタは、所謂体系だった思想家ではなかった。彼は歴史や生産の理論の哲学的分析から、始めたのではなく、人格の具体的な哲学的概念から始めた。

デカルトが言うように、現実と云う大きな書物を読む事から、彼の思想は出発したのだった。彼の学校は神学校から始められ、そこでフランス人格主義哲学の影響を強く受けた。

アリスは、ブルジョア的リベラリズムや、全体主義的傾向を持つ、集産主義に替わる、第三の選択肢としての協同主義を、バスク独自の社会主義の道として、既に考えていた。

彼は、自由主義を私的所有を神聖化する、考えだとして又、人間性労働者貧乏人を無視するとして反対した。一方集散産主義に就いては、個人的所有の、全面的廃止を主張するものとして、之を反対した。

国家と社会(共同体)に関する、アリスの実践的な結論は、「既存のスペイン国家は、労働者階級の解放に、役立ちたいという事であり、スペイン国家は、絶対主義国家として生産手段を資本家が独占し、公共資産を金持ちの為に使い、公衆の為に使わない。全てを特権層の為に収奪する、吸収的国家である」という事だった。

教育と労働を一緒に行なう事が、将来の教育の在り方である、と主張した。労働者の解放は、労働者の人間としての尊厳の獲得であり、労働者による人間の自己実現である。

其の為の教育も又、自主財政に依り、自主管理にならなければならない。文化の社会化。知の社会化こそが、、労働者が、権力の民主化を勝ち取る道であり、文化のブルジョア的独占を阻む道である、と彼は主張した。

こうした視点から、当時、青年達の労働以外の余暇の在り方を重視し、文化サークル・スポーツサークルを多く組織し、合唱団・民族舞踊、各種スポーツを振興した。

青少年の教育を、彼はカントの理念即ち、人間は教育に依って人間になる。と云う理念に基づいて、奨めた。更に彼は「全ての人は、他人に教えるべき何かを持っている」「各人とその可能性に従って要求し、その必要性に応じて与えられる」と云う原則を取った。

確かに、現実にはこの原則は、適用される事が無いにしても、こうした理念を目指して、実践を企てる事が、何よりも彼の優れた所だった。彼にとって教育とは、協同精神の表れだった。

労働とは仁愛であり、創造者であり、神との協同であった。労働は本来的に責苦ではなく、神と人間との信頼の確証である。

「労働のみが人間の性格を変える」ものだと考え、普遍の人間性を信じなかった。「労働は人間化の要素であり、労働の社会化の中で、人間を変革するものである」と言っている。

アリスが、所有概念を常に、労働の義務と結びつけていた、「共産主義」は、所有権を否定する為に。資本主義は、資本の労働に対する、優越原則を持つ為に。その孰れも彼は賛成しなかった。

労働者全員が、資本と所有の権利を持つ事、労働と所有の分裂を終わらせる事が、協同組合的、所有の目的であると彼は考えた。

彼は、労働の人間化と労働の効率化の両面を考え、生産性と連帯を結びつけて考えた。先ず地域共同体との連帯である。それも、仕事を創り出す事、同一賃金を目指す事に表われた。

アリスの優れていた処は、労働階級は自己を管理し、自由な人間的活動を行う為に、教育を通じて、充分成熟した状態に成り得るのだと考え、参加がその保障であると考えた点だ。

多くの、その他の労働者生産協同組合主義者と、彼の異なる点は、資本主義に於ける分業による、疎外のの危険を認識する一方で、労働の分割による積極的側面、即ち、個人の労働が、共同体の創造的主張と成る、と考えた点だ。

そして、連帯に関しては職人的手工業や、友愛に就いてのノスタルジーを、センチメンタルなものとして排除し、工業、大工業への生産の移行を主張した。

工業機械が封建領主の社会を齎し、蒸気機関が資本主義社会を齎した。と謂う、マルクスの言葉を受けて、アリスは技術発展と社会組織形態の関連を、明確に意識していた。

彼の考えは、労働者が生産を所有事が必要であるという事だった。当面アリスは、モンドラゴンの企業主たちの協力を得ながら、技術学校を創った。

生産協同組合を、創っていく過程の中で、資本主義企業自体の変革は、当時の時点で非常に困難であることを感じた。

その結果、労働者自らが、自主管理的財政をを勧め、資本への参加を果たす事を目指した。

協同や、相互扶助・平等を願って、共同体を作ろうとする構想は、歴史を貫く偉大な思想の一つだ。彼等の考えの根底にあったのは、人間の真の解放には社会や人間関係の、調和が必要だという事だ。

協同組合の父とも云われる、ロバート・オーウェンが、1825年にアメリカでニュ・ハモ二ィという協同村(貨幣、富の個人的蓄積、分業の否定を原理として)を始めたが三年後には潰れてしまった。

フーリェの考えをファランスチールと云う共同体も、実際に各地で作られたが、孰れも消滅するか、一般の株式会社に移行してしまった。

資本主義と対抗して、労働者達は、或はその政治指導者達は、社会変革の手段として、政党や、労働組合を通じた政治闘争が有効であり、生産者協同組合は、資本主義市場の競争に、勝てないと見做した。

過去の生産協同組合が、何故、失敗したのかと謂う点に就いて、アリスは、それは管理・モラルに就いて、考え抜かれて居らず、物質的・構造的支えが十分でない。安易なヒュウマニズムの誘惑に陥ったからだ、と云っている。

彼は協同組合、企業存続の為の資本家に注目し、技術者や専門家を協同組合に、定着させる為の、優遇措置の必要を主張した。

後期産業時代、技術時代の現代に於いては、労働者は自らを市民階級として、理解しており、労働者の闘争は、物取り的要請ではなくて参加だ。
「今の、革命は参加という名前である」と、アリスは云っている。

協同組合主義は、人間的・社会的価値主義と、その要請の実践的適用の統合だ。

人間が人間と成る為に必要な、選択肢たる教育、労働、健康と平和活動に、自ら参加する為の組織的過程であり、道徳的価値に従うものだ。

現代は、人間が自らを類的存在として、初めて連帯的に存在しなければならない。新しい段階の時代だ。

アリスの協同組合の基本(基礎)原則

1)キリスト教理念

2)人権主義的人間の概念

3)モンドラゴンの協同組合の終結

4)現代世界に就いての危機意識

5)マルクス主義的労働概念(自然、素材、変換に依る人間の自己管理としての労働)

6)技術の発展と社会化の肯定的評価

7)労働者の意識の発展に就いての評価

アリスは、連帯を主張したが、之は単に共生感を味わうもので、安易な道徳でなかった。連帯は、人々の協同と連合の為に、自己犠牲を要求するものであった。

具体的には、利益追求社会の中で、生産性や利潤賃金分配に於いて、全体の為に寄与する事である。

協同組合に於ける、労働者のモラルと可能性への信頼、経済発展、社会進歩の担い手としての労働者の成熟への確信、享受を待つのではなく、根本的に与える側に変る為の、経済的、文化的活動の重要性が、連帯の目標であった。

労働の機会均等、健康的生活の機会均等について、其々工業協同組合、教育文化連盟、社会保障協同組合がその担い手として、位置づけられた。

実の所、アリスの構想の中に在ったものは、協同組合を作ろうと謂うのではなく、労働の共同体と謂う、漠然としたものであった。然し、当時の労働大臣のモデル・アルコなどのの助言に依り、協同組合を選択したのであった。

組合設立に当っての条件(想定)

1)グループの基本的技術能力

2)どの分野を労働対称として選択するのか

3)法的な保障制度

生産協同組合の規模については、大量生産工程が不可避と考えていた。生産協同組合は、小さく狭い範囲でのみ可能だ、と考えられがちだが、大量生産システムこそが、生産性の高水準の獲得を可能にすると、彼は云っている。

然し、技術だけでは労働に於ける、参加と人間化を獲得する事は出来ない。此処に至って、人間中心の協同組合の、社会的性格が、強調されなければならない理由がある。

労働の分割或は、分業の問題は、エンゲルスの言うような、朝に狩りをし、昼には魚を採り、夕には家畜を飼い、夕食の後に批判すると云った、在り方の可能性は、彼岸にあるものとしても、此岸に於いては分業の解体を、夢想するよりも、諸個人の自由意志的な、分業の協同こそが、労働の分割による疎外を、廃棄するものであろう。

協同組合の陥り易い危険

1)管理能力のある人間の、欠如している協同組合

2)労働の科学的組織的法則に、挑戦出来ない協同組合

3)単なる熱意を、資本や技術や先見性の適切な処理を、取り違えている

4)労働の適切なプログラムの無い、又安易で性急な事業の幻想を抱いている

5)連帯意識の無い、プログラム

アリスは、労働者と企業家であると謂う、二つの資格は本来、精神と肉体のように、不可分に結びついているとして、指揮と協同、実践と管理は同一の人物の中で、結合されていなければならない。

労働者が、企業かである為に、必要な特性として、1)危険に対応する能力。2)再投資意欲。3)決断力。

アリスは、個人主義を未成熟な印であり「小児病」と見做していた。

彼は云う「今日労働者は成熟して居り、解放されるべき事を、明確に意思表示しなければならない。未だ未熟だとか準備不足だとか言って、遅らせる訳には行かない。労働は、常に現実的な印であり、陣地なのである」

又、管理についても強力な自治と実行に際しての絶対的独立性、権限の代表制、情報の上下の相互伝達公開、更に官僚主義を避ける為の、管理者の定期的交代を提案している。

人間の顔を持った社会主義、知の社会化無くして、自由も民主主義もない。政治権力の奪取のみを目指した、瞬間的な革命は危険であるばかりでなく、ファシズムにも接近する。

アリスの言う「新しい体制」とは、自由主義や集産主義に対して、協同組合的社会主義を示すものである。協同組合は資本主義体制の対立物として、資本主義が生みだしたものである。

彼は、協同組合主義を民主的管理に依り、効率という点でも資本主義を克服出来たとした。とは言え、彼は非人間的な吸収的国家を批判したが、国家其のものを批判したのでは無い。

大規模分野や、不活発部門に就いては国有化を肯定した。但し国家は、企業のイニシアチブに干渉すべきでないとした。

彼は、フランスの人格主義哲学と同様に、階級闘争の存在を認めていた。彼にとって協同組合は文化革命でもあったが、然し、単に倫理要請の対象ではなく、歴史的発展の産物であった。

協同組合が、資本主義を乗り越えて、新しい体制を作れるかどうか、労働者階級が団結し、同時に、資本主義との共存も受けなければならない。

(43 43' 23)

  • 最終更新:2013-07-26 13:18:12

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